ときに気品が邪魔をする[中国の不思議な役人]
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きょうは孔子の誕生日だそうですね。
それにちなみ?ではないが、
昨日見てきた寺山修司作の舞台、
「中国の不思議な役人」のおはなし、です。
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もう、渋谷、しかもスクランブル交差点の向こう側には
めっきり足を踏み入れなくなってきました。
年齢制限に引っかかるとおもうから。
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でも、きのうはこの大井川(越すに越されぬ)を
渡ったわけです。
しかも目的地はパルコ!
パルコなんて何年ぶりかしら?
この9階、「PARCO劇場」が会場。
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今年は、「毛皮のマリー」につづいて
2作目のテラヤマ鑑賞です。
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この「中国の不思議な役人」というタイトルが、
ちょっと日本語として「こなれない」かんじ、
しかも、言葉の錬金術師たる寺山修司に
あるまじきぎこちなさなのは、
これがもともとバルトーク作曲、メニへールト脚本の
ハンガリーのお芝居を下敷きにしたものだからです。
原題はmandarin(マンダリン)。
これは漢民族全体を指すのではなくて、
当時の西洋では暗に「宦官」を指したようです。
まあ、彼らは「男性」を失う代わりに
皇帝のおそば近くまで上りつめることもあるので、
その意味では「役人」なのでしょうか?
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寺山がこれを彼流にアレンジして初演したのは
1977年のようです。
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今回、「不思議な役人」役は平幹二郎さん。
ひとさらいにさらわれて娼館に売られる13歳の少女には
15歳の夏未エレナさん。
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寺山らしい言葉をちりばめたセリフ、
中国清代を髣髴とさせる怪しげなメークと衣装、
大道具、小道具にいたるまで神経が行き届き、
舞台の後方で生で演奏される
パーカッションや一部の楽器も、
出演者による歌(バルトークのではなく書き下ろし)も、
シュアーで安心して聞いていられるレベルの高いものでした。
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娼館に売られた妹「花姚」を助けようとする兄に、
役人の命を奪えたら、
それと引き換えに妹を助けようと持ちかける日本軍人の女。
しかし、殺しても殺しても死なない役人。
死ねるのは、ただ少女の胸に抱かれたときだけだという。
役人を殺すためには妹が抱かれるのを
見てみぬふりをするか、
殺し続けてそれを阻止し、
また翌朝には何食わぬ顔で通ってきて
妹に淫靡に言い寄るのを許すのか。
苦悩する兄。
しかし、その死んでは生き返りを繰り返す日々の中で、
次第に役人に心を許し、惹かれていく花姚。
花姚に愛を告げられて役人はついに命を失い、
死ぬことができたのだが・・・。
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というようなストーリーで、
まあ、こういうものを15歳のムスメと見に行ってしまう
ハハはケシカランですこと。
( ^ω^ )
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りすと同い年のエレナちゃんは、
さらわれて逃げ惑い、恐怖に震える前半はいいとして、
後半はあまりにもハードルの高い挑戦で、
ここはカノジョひとりに「官能」を演じさせようとしても
酷というものでしょう。
ヘアメイクも美術も、ライティングも、
いろいろ使えるとおもうので、助けてあげてくださいよ。
あまり15歳の子に頑張らせて
痛々しい感じになるのはどうかとおもいます。
てか、エレナちゃんにはこれ以上やらせちゃいけません。
ハハが許しません。
いや、とてもいい演技なのですが、
「一生懸命やってるなあ」って感じが、
透けて見えてしまうラブシーンは、だめなんです。
(・∀・)←ラブシーンにきびしいヒト
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しかも、テラヤマのものなので、
そんじょそこらの「官能」では、客は満足しないのでは。
うわ、見てはいけないものを見てしまった、というような、
そういうまがまがしさがないと。
なにしろ、殺しても殺しても死なない役人を、
ついに殺すほどの純情を突き抜けた色香なのですから。
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やはりその点、
同じ寺山修司の舞台でも、
「毛皮のマリー」はみごとにテラヤマワールドでしたね。
なにしろ、美輪明宏、麿赤児という、
ほとんど人間よりは魑魅魍魎に近い(すみません)、
そこらへんの役者が100人束になっても
とうてい太刀打ちできないほどの
まがまがしくもふてぶてしい存在感を持つ人たちが
舞台に上っているのですから。
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そして、今回の舞台と比較して、すごく感じたのは、
テラヤマの舞台なら、品や芸術性よりも、
俗っぽい大衆性が匂っていて欲しい、ということでした。
それでこそ、テラヤマ・テイストの真骨頂が味わえるのです。
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音楽なら、もちろんクラシックでもジャズでも現代音楽でもなく、
俗っぽい大衆歌謡こそ似合う、みたいな。
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今回の「中不役」(超省略)では、平幹二郎さんに
無意識のうちにもかもし出される「品のよさ」があり、
それがこの舞台に限っては、いささか邪魔をしてしまったのと、
音楽も演出も芸術性が高くて洗練されていて、
いまひとつ「俗のなかの崇高」みたいなテラヤマらしさの
出番がなかったのが惜しい、
のではないかとおもいました。
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平さん、少し前に
NHKの「カンゴロンゴ」という教養バラエティーに出演されていて、
孔子風というか、中国風の衣装だったので
どうしてもそれを思い出してしまうのと、
あまりにも髪型やひげのアレンジや目の下のクマが
キャプテン・ジャック・スパロー
(『パイレーツ・オブ・カリビアン』。言わずと知れた
ジョニー・デップの当たり役)にそっくりで、
Wisteriaはついほのぼのと笑ってしまいましたの。
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平さんの、この「出そうと思ってないのに出てしまう気品」
とか、ユーモアのセンスは、
たいていの場合は称賛の対象だと思います。
「品があってユーモアがある」というのは
紳士に対して最高の褒め言葉だし、
それが得難い褒め言葉たる理由は、
これは後天的な努力では購いきれないもの、
誰しもが持とうとして持てるわけではないもの、だからです。
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でも、それがあだになってしまうのが、
テラヤマ・ワールドってものなのですね。
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しかし、それよりなによりいちばん気になったのは、
「うーん、これ、中国の人はあまり見ないでほしいなあ。
中国から文句がいっぱい来そうだなあ」
という点でした。
バルトークの時代、またテラヤマが初演した時代でも、
まだまだ中国はほんとうにどこか得体のしれない国、
体制的にも歴史的にも、
「宦官」という摩訶不思議な制度にしても、
外国の常識を軽く凌駕した不思議の国だったと思います。
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だからこのお芝居でも、昔は許されたのだと思うけど、
いま、Wisあたりまでが飛行機3時間で
気軽に北京や上海に行けるようになって、
「現実の国」になった中国は、
一応市場経済の原理も取り入れて、ビルが乱立し、
ちょっと見、普通の国の体裁を手に入れている。
もちろん、あの広大で深遠な国のどこかには、
何が潜んでいるかわからない、みたいな感覚も、
あいかわらず内包している気もしたりしますが、
実在する国を、
あたかも妖怪が跋扈し、あり得ない奇跡がおこる
魔界のように言ってしまってよいかしら。
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いやいやこれは、「パラレルワールドの中国」が舞台で、
現実の中国とは別物ですよ、
と逃げる道もあったと思うのに、
わざわざ天安門事件やチベットの騒乱まで
テラヤマのセリフに書き足して
逃げ場を封じてしまったことはよかったのだろうか?
と、すごく心配だ。
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これをハリウッドで、日本を舞台に同じようにやられたら?
白塗りの江戸装束(でも、着物の着方めちゃくちゃ)の男女が
不必要になまめかしくくねり、
ハラキリ、ゲイシャ、女体盛り満載、
おまけにあからさまな悪口を言われまくる作品を作られたら?
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と、いろいろ雑念も入りながら見てしまいましたが、
それにしてもお芝居もいつも満員。
そして、ずっしりと重たいほどの「近日上演」のお芝居のチラシを
盛大にいただいてしまいました。
演劇って、盛んなんですね~。
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チラシを見ると、テゴマスの増田君とか、
要潤とか、仲村トオルとか、その他書ききれないほど大勢の
トップスターが続々と舞台に上がる予定のようです。
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今回、席がなぜかまた最前列で、
しかも「兄」役の俳優さんと2度ほど
あわやぶつかりそうになるくらい近い席だったのですが、
映画と違って「本人が目の前にいる」お芝居の
この臨場感も格別ですね。
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金城武が日本で舞台をやったりする、ような日が
来たりはしないのでしょうか。
通いつめるけどなあああ。
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ぜひ、ご検討くださいませ。
o(*^▽^*)o
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