17歳たち[ウィンターズ・ボーン][永遠の僕たち]
2012年の最初の1週間が
過ぎてしまいました。
.
おのれの怠慢を恥じ入るばかりですが、
年末年始に仕事がないのは何年ぶりだったでしょう。
満喫しすぎてしまいました。
てへ。
.
のんべんだらりはWisだけでなく、
Shade家は3人そろって怠惰のきわみ。
Lampはもともと週休5日の男で、
これ以上の事態はないと思っていたところ、
あろうことかさらに拍車がかかり、
じつに台湾旅行以降、
なし崩し的に自主休暇(akaサボり)中で
出勤する姿を久しくみていません…。
((・(ェ)・;))
でもちゃんとおきゅーりょうもらっているよ
.
そして、
同級生がセンター試験準備の修羅場を迎えつつある中、
人生最長のヒマ期を過ごすりすは、
ヒマつぶしの常套手段として
自動車学校に行こうと思ったんですね。
が、
早生まれのため
「きみはまだダメなのよー。出直してきてねー」
(本当にこういう口調だったらしい)
と言われて追い返され、
いよいよますます
ほんもののニート!!
ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ
.
ひえー。
だれかShade家に
やる気スイッチを―!
.
年明けらしくなく
どうもピリッとしない新年のスタートですが、
今日は
対照的に
みずみずしい17歳たちの映画のお話…。
.
『永遠の僕たち』(Restless)は
生と死という重い主題を抱えながら
水彩画のようにあわあわと美しい画像で、
セリフも少ない物静かな映画です。
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両親と同乗していた車で事故に遭い、
両親を一度に失ったばかりか、
長い昏睡状態から覚めてみると、
その葬儀さえ数か月前に終わっていたという
どうしようもない喪失感を抱える17歳の少年イーノック。
その空白を埋めるように他人の葬儀に
勝手に参列し続けているが、
その会場で同い年の美少女アナベルに会う。
アナベルは脳のがんに侵されていて、
余命3か月だった。
.
という、
少女漫画にしてももう古いだろう、
というありがちな設定ではありますが、
ここにアクセントとして加えられているのが、
イーノックの成長を助ける形になる
カミカゼ特攻隊員の幽霊、”ヒロシ”。
.
臨死体験をしたイーノックにだけ見える、
という設定です。
.
映画は、
”生き返った”イーノックのほうが、
この世に取り残された悲しみ、恨み、喪失感を
いつまでも捨てられないでいるのに、
”死んでいく”アナベルが、
「朝になると、夜のあいだに死なずに生きていた喜びで
歌をうたう鳥」
のように残り少ない「生」を楽しんでいる姿を
対比させながら、
イーノックが自分勝手なシニカルさを脱ぎ捨て、
自分の想いを告げること、
人の愛情にこたえること、
死に敬意を払うこと、
自分の足で立ち、生きていくこと、
といった「成長」を身に着けていくさまを
注意してみていないとわからないくらい、
さりげなく
見せていきます。
.
この映画で最もおもしろいのは、
やはり加瀬亮演じるタカハシ・ヒロシの”存在”で、
たとえばこんな場面。
.
日本風の美しいお辞儀をイーノックに教えるヒロシ。
頭だけぴょこんと下げるイーノック。
ヒロシ:もっと、体全体を下げて。
お辞儀は深い敬意を表すんだ。
イーノ:握手だってそうだ。(乱暴にヒロシの手を振る)
ヒロシ:君たちはいつもそうだ。なんだって力づくだ。
イーノ:じゃあ、君たちはずっとお辞儀してればいいさ。
.
でも、
死期が近づいたアナベルにもヒロシが見えるようになり、
正装したヒロシが彼女の旅のお供をすると言って
ちょっと気恥ずかしそうに隣に立つと、
イーノックは神妙な顔つきで、
無言で深く上半身を折り、お辞儀をします。
.
「君は国のため、家族のために死んだなんて言って、
本当はそのほうが楽だったんだ、
君は家族を捨てたんだ」
と食ってかかるイーノックを
ヒロシが渾身の力で殴り(この幽霊、ちゃんと殴れるんです)、
病院で気がついたイーノックに
ヒロシが出征前に
思いを寄せる女性にあてて書き、
ついに渡せなかった手紙を読む場面。
.
そして、
両親の死でも他人の葬儀でも、
アナベルの余命を聞いても流さなかった涙を流す場面。
.
とても日本的、東洋的な
生と死のとらえ方が全編にちりばめられていて、
「深い敬意」が感じられて、
日本人にとってはこそばゆくもある映画です。
.
日本の現実の中では
政治を見ても社会風潮を見ても、
嘆かわしいことも多いのですが、
大きくかけ離れていた西洋と東洋の考え方、
特に日本人のモノの考え方や生き方が
いまごろやっと西洋の人々の心を打ち始めているのか。
.
だとすると、
彼らに失望されないよう、
わたしたちこそ
もう一度、
日本人本来の優しく清らかな精神風土を
再確認して鍛えなおさなければなりませんね。
すくなくとも、
なにがここまで米国人である映画の作り手の
心に響いているのかを見ておくのは意味があると思う。
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余談。
イーノック役のヘンリー・ホッパーは
デニス・ホッパーの遺児。
アナベル役のミア・ワシコウスカは
全編衣装がすごくおしゃれでキュート。
しかも、気品があります。
加瀬亮は、
わざとthをsで発音したり、アクセントを平たんにして
日本人らしくなるよう工夫しているのがわかるほど
ナチュラルで滑らかな英語。
幼少期をアメリカで過ごしたことが
影響しているのでしょうかね。
37歳ですが、20代にしか見えません。
.
そして、
癌で17歳にしてなくなってしまう少女が
恵まれた存在に見えるほど
荒涼とした環境で厳しい青春を生きる少女リーもまた、
同じ国の、同じ年の少女です。
.
『ウィンターズ・ボーン』は
米国でもっとも貧困率が高く
覚せい剤密造という犯罪が繰り返される地域に生まれ、
否応なしにその一員でいるしかない環境に育った
少女リーが主人公です。
しかも、
父親は服役中、
共犯者の名前を密告することを条件に
家を抵当に入れて保釈金を払い仮出所したために
一族の怒りを買い行方不明、
おそらくもう命はないでしょうが、
その死が証明されないと家は取り上げられてしまう。
母は心を病んで廃人同様。
まだ幼い弟妹も食べさせ、学校に通わせなければ。
とは言え、彼らをおいて働きに出ることすらできない。
近所の人の施しと、
狩りで撃ち落とした野生のりすの肉で
どうにか一日一日を生きるだけ。
.
それでも
質素で飾り気もない防寒着に身を包み、
大股で岩肌のごつごつした山野をガシガシと歩き、
素手でりすの皮を剥ぎ、
凶悪な親族の中に踏み入って一歩も引かず
殴られて血だらけになり顔を腫らしながらも、
リーには凛とした品格さえ感じます。
.
父親の死体を切り落とし、死の証拠として差し出すことで
家族を守ることさえする。
.
その「強さ」はどこから来るのか。
.
そのヒントは、
リーが自分を表現していたこの言葉にある気がします。
"Bread-and-butter".
.
これは辞書を引いても、
日用の、平凡な、とかいう訳語しか出てないものが多く
ニュアンスが伝わりにくい言葉ですが
たとえば、
I'm a bread-and-butter kind of girlというと、
party-girl、つまり、社交的で派手好きな
華やかさを好む女の子とは対照的な
「地道で実用的な服装を好み、
家族やごく少数の友人がいれば十分というタイプ」
だ、という意味です。
質実剛健、武骨、実質的なリーの姿は
確かに彼女の暮らす山間部の厳しい自然とも似て、
装飾や媚とは無縁の潔さがある。
.
つまり、
彼女は決して自分が
特殊な環境で厳しい生活をしているという自覚も、
世の中には豪奢な家に住み高級車を乗り回し、
経済的な心配もなく毎シーズン新しい華やかな服を買い
パーティーやゲームに明け暮れる同年輩の少女たちが
いるという事実も知りもしなければ興味もないでしょう。
貧困から抜け出す唯一の方法が
軍に入隊することだということの悲惨さにも
まだ気づいてないでしょう。
.
だから自分は決して
「かわいそう」ではない。.
.
リーの「毅然とした美しさ」は、
他人と比べないことから来るものかもしれません。
.
リーにとっては、
「自分はこういう(武骨な)性格の人間だ」
という自覚しかないからこそ、
揺るがなくてすむのです。
.
まだリーは「井の中」にいて大海を知らないからこそ、
自分の環境を客観的に見る必要もなく、
それでみじめさを味わうこともないのでしょう。
.
それが、幼さであり、
若いということの一つの特権でもある。
と思います。
同時に、
やがて十分に大人になり、
客観的な目で自分を見る日が来た時、
自分で選択した誇り高い「強い」生き方が、
実は環境や運命に揉まれる「か弱い」姿だったと気づくとき、
彼女の落胆はいかばかりか、
と思うと辛くもあります。
.
その日は、来ないかもしれないけれど、
意外にすぐに来てしまうのかもしれない。
青春の特権的な最後の美しい光を見るような目で
まぶしく
リー役のジェニファー・ローレンスを見てしまいました。
.
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